「禍福は糾える縄の如し」とは良く行ったもので、人生、生きてりゃ良い事悪い事の繰り返しです。私の場合、特にビルメン転職の前後は顕著でした。
職業訓練校入校😊 ⇒ リーマンショック😫 ⇒ ビルメン会社入社😊 ⇒ そして・・
パワハラ現場へ配属
ビルメンになった経緯の通り、晴れてビルメン社員(契約)となるのですが、配属先は会社で一番の離職率を誇るパワハラ現場でした。ハイ、分かりやすい展開ですね😅。
ビルメンになって初めての勤務地は東京の某施設。
本社の人と一緒に現場へ行き、責任者との初対面。一通りの説明をして担当者は本社へ戻っていきました。
そしてその後・・
責任者:「おい、お前!ついてこい」
開口一番ついた言葉がこれ😁。
一応施設を責任者自ら案内してくれたのですが、その間、世間話は一切無し。
さすがにその空気に耐え兼ねた私、取り敢えず話しかけました。
私:「あの、先にとっておいたら良い資格とかありますか?」
責任者:「なんでそんなこといちいち答えなきゃいけないんだ?」
日本の伝統文化、徒弟制度未だ潰えず😂
・・・ここから2年の長い懲役修行生活が始まります🤣。
その現場の人員は責任者を含め総勢10人。うち3人は私を含め未経験の新人。しかし、経験者の1人が程無くして移動となり、すぐに9人態勢となります。施設の規模からいって、おそらく2人以上人員が足りていませんでした。常に人手不足でしたので、休むことは不可能、月の残業は平均50時間。事実2年の在籍中、誰も有休がとれませんでした。高熱でやむを得ず1日休んだら、代わりに休日出勤させられたことも・・
それにしても、人手不足とは言え3人も新人?
なぜか?それは皆行きたがらず、行ったとしてもすぐ辞めてしまうから。
では、なぜ皆辞めてしまう?
初日のエピソードでその一端が垣間見えますが、
責任者が恐ろしく仕事に厳しく、恐ろしく短気で、尋常でない怒り方をするからです。
その責任者、スーパービルメンマンその1の方です。
ビルメンとして技術と責任感の面では、本当にプロフェッショナルでしたが・・
私が最初に洗礼を浴びたエピソード
宿直勤務は2人態勢で、すべてを取り仕切る人と補佐をする人とに明確に分かれていました。メインはベテラン、サブは新人や嘱託さんといった感じです。しかし慢性人手不足のため、すぐに私がメインを担当することなります。これには先輩も驚いていました。
入社してすぐに責任者のマッドマンぶりは目撃していたので、覚悟はしていましたが、それはすぐにやってきます。
宿直の引継ぎが終わり、メインの椅子に座るやいなや、後ろから警報ブザー。
焦りましたが直ぐにエレベーターの緊急呼び出しだと理解し、受話器を取りました。
客:「あーごめんなさい、間違いました。」
それを見ていた責任者、鬼の形相でやってきて、掴みかからんばかりに
「お前なんですぐに出ないんだ!」
顔を真っ赤にして、声がわなわな震えていました。激昂というやつです。私、直ぐに受話器を取ったのですが、何せ初めての事なので「これ取っていいのか?」という思いが過り、ほんの数秒(おそらくコンマ数秒)躊躇しました。その数秒が気に入らなかったらしいのです。新人というエクスキューズなど許されるわけもなく、さまざまな罵詈雑言をあびました。
「やべえ所に来ちまった」と思いながらも、「あれでこれだけ怒れるのか?」と、少し感心に似た感情を覚えた記憶があります。YouTubeで、元プロ野球選手が故星野仙一氏を評し「よくあそこまで怒れる」という趣旨のコメントをされていますが、そんな感じです。
誇張表現なしにその後の半年は、程度の差はあれど毎日怒鳴られていました。(笑)
早い人なら課長になってもおかしくない、齢37歳の時の話。😅
ビルメン、やりたくなくなりましたか?
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